【No!担任ガチャ!】”固定担任制”より”全員担任制”はいかがですか?

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「あの時の、担任の先生の一言が忘れられないんだよな。」

 

先日、友人たちと飲んでいる時、そんなことを呟いたやつがいた。

その友人は、今でも担任の先生に言われたことが印象に残っていて、人生にかなり良い影響を与えているらしい。

 

確かに、担任の先生の影響は大きいかもしれない。

私も「あの先生が担任でよかったな」と思う先生がいる。

 

その一方、「あの先生が担任は嫌だよね」みたいな話もあった。

どこまで影響があるかわからないが、よくも悪くも子どもたちにとって担任の影響は大きい。

 

「クラスのことや学校のことであれば、とりあえず担任の先生に言いなさい。」

そんな風潮があったことを思い出した。

他の先生に言うのは違う感じで、まず担任の先生に話を通す風潮。

今考えると、これってちょっとしんどくないか・・・?

 

大人になって会社で何かあった時、必ずこの人に話を通せみたいなことってない。

直属の上司に仕事のことを報告するのは当たり前だが、悩みとか全てを話す必要はない。

悩みなんかは同期の人とか、もっと相談しやすい先輩のところにいく。

 

まだ自分で人を選んで話にいく経験のない子どもに、「全て担任に!」という感じを作るのは酷ではないか?

 

担任の先生が1人っていうのを、やめたらどうだろう。。。

 

目次

『担任ガチャ』とは

 

担任ガチャという言葉がある。

 

■担任ガチャとは

学校の担任をオンラインゲームの「ガチャ」に例えた見方のこと。

いい先生に当たれば「大当たり」、いまいちの先生になれば「大ハズレ」

誰が担任になるかは、運次第。

 

***

 

私が過ごした小・中・高は、全て”固定担任制”だった。

 

4月の始業式。

新しい担任の発表がある。

皆さんもご経験があると思いますが、担任発表はすごく盛り上がる。

 

生徒から人気のある先生が担任だと「よっしゃー!」と歓喜の声が上がり、生徒から人気のない先生が担任だと「マジかよ。」と落胆の空気が漂う。

 

今思えば、あの空気はエグい。

 

親同士も「あのクラスは◯◯先生だからアタリで・・・」なんてことを言っていた記憶がある。

自分の母親も「担任で良し悪しはある」と私に向かってはっきりと言っていた。

 

これが、『担任ガチャ』だ!!

***

 

担任の『アタリ』『ハズレ』は、確かにある。

この考え方の怖いがある。

 

誰かにとって『アタリ』の担任でも、多くの人が『ハズレ』の担任だと判断すると、なんとなく『ハズレ』の担任に見えてきてしまうことだ。

 

本来、誰が『アタリ』で、誰が『ハズレ』なんて決めることはできないはずだ。

でも、私たちは『アタリハズレ』で担任を見ている。

『ハズレ』認定を受けた担任に当たった子どもや保護者は最悪だ。

 

”固定担任制”だと、他のクラスとの比較も発生する。

『アタリ』判定担任のクラスは雰囲気が良くて、『ハズレ』判定担任のクラスは雰囲気が良くないことってないだろうか。

その先生の力量もあるかと思うが、なんかスタートからムードが決まっているように感じていた。

『ハズレ』判定の先生が素晴らしい学級運営をしようとも、クラスのムードが改善するのにすごくハードルが高くなっている。

 

その逆もある気がする。

『アタリ』判定先生がちょー適当な学級運営しても、なんだかんだ乗り切ってしまうこともあるような気がする。

(これ、私の完全な体験と主観からの仮定的な話です。)

 

担任ガチャを解消する”全員担任制”はいかがですか?

 

学校の主流である1クラス1人の担任が配置される”固定担任制”ではなく、”全員担任制”というものがある。

■事例紹介

中学校で全員担任制、小学校で教科担任制 茨城県内の自治体で新年度から(東京新聞Web)

学級担任を廃止して「学年担任制」に――公立中学校長の改革(ITmediaビジネス)

全市立小中で担任制見直し、チーム指導へ 富山県南砺市(教育新聞)

 

色々な地域で、”全員担任制”を始めている学校はあるようです。

 

私は”全員担任制”がいいと思う。

その理由は3つある。

 

①どのクラスになろうと関係ない

 

1組がいいとか2組がいいとか、それって担任がどの先生なのかが主な要因である。

担任が1人でなければ、1組がいいとかそんなこと言わなくなる。

・・・クラスのメンバーにフォーカスして色々言う子がいるかもしれないけど。

 

先生によって「あのクラスがいい」「このクラスは嫌だ」ということがなくなるのは、子どもたちにとって良いことだ。

所属する集団を誰もがフラットに受け入れることができる。

上記で伝えた新しい担任発表のような、エグいシーンも学校からなくなる。

保護者にとっても「あら!今年は○○○先生になったのね!よかったわね!」と感じるシーンがなくなる。

精神衛生上、みんなハッピーになる。

 

②透明性の確保

 

学級王国。

この言葉を聞いたことがあるとだろう。

 

学校では、教室の中では実際何が起こっているかわからないという側面がある。

 

例えば、HRなどで生徒に何かを伝えるとき。

伝える内容は担任同士で共有しているはずだ。

しかし!

実際伝えたあと、結構なズレが生じることってある。

 

学校内でサイフの盗難が頻繁に起こっているとしよう。

担任同士で「各クラスで注意喚起しよう」となり、各担任からHRで伝えることになった。

 

盗難は良くないことを、自分の言葉で一生懸命伝える担任。

事実だけを淡々と伝える担任。

「盗難するやつが悪い」と考えている担任。

「盗難されないために気をつけるしかない」と考える担任。

 

伝える担任側にもそれぞれの価値観があるから、言葉のチョイスや伝え方が変わる。

だから、ズレが生まれるのだ。

 

つまり、固定担任制だと教室に入ったら、どうなっているのか、担任以外誰もわからない。

これが、学級王国と言われる所以だ。

 

廊下から教室が見えるようになっていても、その解決にはならない。

”固定担任制”って、どうしても教室が不透明になる。

 

 

また、”固定担任制”による教室の不透明さが、担任が過度に頑張りすぎる要因にもなる。

 

初めて担任を持つA先生がいたとする。

A先生は何もかもが初めてなので、最初は先輩の担任の先生がやっていることをパクりまくる。

 

パクることは大切だ。

真似して学ぶ事って、すごく多いから。

 

しかし、A先生はパクるだけでは飽き足らず、他の先輩がやっていないことをやることにも必死になった。

自分でも何か考えて頑張らないといけないと考えたからだ。

 

定期テスト前、A先生はクラスの生徒に試験勉強の時間を報告させていた。

さらにどんな勉強をしているのかチェックして、勉強の仕方のアドバイスをしていた。

 

これって、過剰だと私は思う。

そんな細かいところまで管理すると、生徒が自律するチャンスを奪っている可能性がある。

 

A先生はこう考えているのだ。

「他のクラスには負けられない」

 

気持ちはわかる気がする。

自分だけがクラスの担任だったら、他のクラスに負けないよう、そりゃ頑張る。

でも、一体何と戦っているのか。

 

このように”固定担任制”による教室の不透明さが、担任本位な行動を引き起こす可能性がある。

 

 

この教室の不透明な部分を解決できるのが”全員担任制”だ

 

色々な先生が教室に入ることにより、教室の透明性を確保することができる。

学級王国という言葉はなくなるだろう。

 

③人と人には相性がある

 

人には、合う人と合わない人がいる。

この事実をしっかり受け止めてくれるのが”全員担任制”。

 

担任の仕事は、学習指導+生活指導や進路指導がある。

上記の役割を果たすために、担任がその生徒と合うか合わないかはとても重要だ。

逆に、生徒も担任と相性がいいかは重要となる。

進路のこととかちょっとした相談とか、相性悪い人にしたくないだろう。

 

さて。

『感情フューリスティック』って、ご存知でしょうか。

感情フューリスティックとは

好きか嫌いか、もしくは感情反応が強いか弱いかによって判断を下してしまうこと

引用:世界と日本のUX

 

人は『感情ヒューリスティック』によって、物事を好き嫌いで判断することがある。

つまり、自分の担任のことを”好きか嫌いか”で判断することがある。

 

なんか好きだから進路相談しやすい。

なんか嫌いだから進路相談なんか絶対しない。

 

先生側も生徒を”好きか嫌いか”で判断する。

なんか好きだから親身になれる。

なんか嫌いだから適当に流す。

 

教員として絶対ダメな行動だけど、感情としてそう思ってしまう可能性は十分ある。

 

『感情フューリスティック』をなくすことはできない。

人間はそうできているし、そこを出さないのがプロの教員なのかもしれない。

でも、学校において生徒にそんな大人の対応を求めるのは酷だろう。

だから、色々な先生が担任というシステムが必要である。

 

”全員担任制”は自然なこと

 

「まず、担任に相談しなさい」

 

学校で良く聞いた言葉だ。

”固定担任制”の学校だと、まず担任みたいなところがある。

 

担任と生徒が合わない2人だったら、最悪だ。

 

冒頭にも書いたように、大人になれば「全て担任」みたいな環境はなくなる。

自分で誰に伝えて、誰に話をするべきか考えるシーンがいっぱいある。

そういう環境を学校にいるときから作ることは、決して不自然なことではない。

 

”全員担任制”であれば、自分がそのとき相談したい先生を選べる。

三者面談とかも、自分の好きな先生を選ぶことができたら最高だ。

嫌な人になんか本音で相談なんかできない。

 

面談で好きな先生を選べるなんてしたら、それこそ先生の人気投票になる

 

こんな課題があるかもしれない。

1〜2人しか来ない先生が可哀想だろ!みたいな。

 

私はそれでも良いと思う。

1〜2人しか来ない先生だって、絶対必要なのだから。

その生徒にとって面談したいと思った先生だし、人数多い方が良い先生ということにはならない。

 

人の相談を受けるのが得意な先生。

授業がめちゃくちゃ上手い先生。

学校運営上の細かいところに目が届く先生。

生徒のちょっとした変化にすぐ気づける先生。

職場のムードを良くする先生。

 

人によって、得意なことは違う。

だから、面談の希望人数が少ない先生だって、全然良いのだ!

 

ということで、

よく考えるとごく自然な”全員担任制”はいかがですか?

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