こんにちは。
burikoです。
大人になると、今まで考えなかったようなことに悩んだりする。
「クリスマスにはサンタクロースからプレゼントもらえるね!」って言ってもいいのか。
ちゃんとウソついてないか。
「サンタクロースは親なんだぜ。」って教えてあげたほうがいいんじゃないか。
そんなことで悩んでいる。
そんなことを考えていたら、自分がサンタクロースはいないと気付いた日のことを思い出した。
その日、私は「優しいウソ」をついた。
我が家のクリスマスプレゼント受け渡しの件
私には弟が2人いる。
両親は私たち兄弟に毎年クリスマスプレゼントをくれた。
12月頭くらいに「サンタさんに何が欲しい?」と聞かれて、そのとき欲しいものを発注するとクリスマスの朝に届いている・・・という件だ。
この件が、子どもの私にとっては本当に楽しくて楽しくて。
クリスマスは嬉しくてたまらないイベントだった。
サンタさんがくれるプレゼントは、緑をベースに小さい木が規則的に書かれている包装用紙でラッピングされていた。
いかにもクリスマスという柄。
毎年必ず同じ包装だったので、私は「サンタさんからのプレゼント」はこのラッピングなんだと思い込んでいた。
朝起きてサンタさんのプレゼントを見つけたとき、私たちの眼は「キラキラキラッ」と実際聞こえてもいいほど輝いていたと思う。
タンスの上
私が6歳になった年の12月24日。
今年もサンタさんにプレゼントをオーダーしている。
明日はきっとお願いしたものが届いているはず!
朝起きたとき置いてあるプレゼントのことを考えると、ドキドキして眠れなかった。
「今年もまたあの包装用紙でラッピングされたプレゼントがあるんだろうなー。」
そんなことを考えながら、布団の中から天井を見ていた。
すると、部屋の隅にあるタンスの上に乗っている荷物に目が止まった。
上から黒い布がかぶさっていますが、一部分だけ布がはだけている。
そこから、見覚えのある包装紙が見えている。
「あれ?まさか明日届くはずのプレゼント?」
そう思いましたが、私はすぐにその考えを却下した。
だって、サンタさんは私たちが寝てる間にプレゼントを持ってきてくれるから!
今この部屋にあるはずがない。
私はそう言い聞かせて、タンスの上の荷物は見ないようにして寝た。
次の日の朝。
寝室から出ると毎年恒例のラッピングがされたプレゼントが届いていた。
「やったぁぁぁーーー!!!」
弟2人ははしゃぎ倒している。
「よかったわね!!」
お母さんも嬉しそうだ。
『ジィーーー』
父親はビデオカメラを回している。
そんな歓喜の声に包まれる中、私は心の底から喜ぶことができなかった。
私には目の前のプレゼントに喜ぶ事よりも、確認しなければならないことがあるからだ。
そう!
寝室のタンスの上の荷物!
6歳の私は自分の考えを整理した。
荷物がある = サンタは存在する
荷物がない = サンタは存在しない(親だった?)
私の世界をひっくり返すような事実を知ることになるかもしれない。
でも、私は知らなければならない。
この世の真実をっ!!!
ガラッ!!(寝室のドアを開ける)
ない。
タンスの上の、荷物ない。
人の夢は壊せない
タンスの上の荷物がないことがわかった瞬間、『パキーン』と音がした。
実際に音がしたわけではない。
でも、私の中ではそう聞こえた。
「サンタクロースは存在する」という事実が崩れ去った瞬間だ。
そして、私の中にある感情が、ミキサーにかけられたように高速回転し始めた。
これまでサンタからだと思っていたプレゼントは、全て親からのものだったのか。
じゃあ、あの絵本にも歌にもテレビにも街にもいるサンタって、誰なんだ。
みんなはサンタがいないことを知っているのか。
etc・・・
その時間は1秒もなかった。
そして、感情のスムージーが完成した。
それが飲み干した私が出した答えは『弟の夢は壊せない』だった。
弟2人は「サンタクロースはいない」という事実を知らない。
今あるプレゼントを「サンタクロースからもらったもの」として喜んでいる。
そんな弟たちに「サンタはいないんだよ!」なんて伝えることは私にはできない。
私の両親は私の目の前で「サンタさんから貰えてよかったね!」と弟に語りかけている。
なぜそんな嘘をついているんだ?
そうしなければいけない理由があるのか!?
色々なことはよくわからないが、1つだけ強く思う。
弟の夢は壊せない。
6歳の私はそう決心して、叫んだ。
「やったー!」
そう言って、去年と同じように嬉しそうにプレゼントを開け、弟と一緒にはしゃぎ倒した。
人生で初めて親に気を遣い、弟にウソをついた。
そして、初めて罪悪感を抱えた。
心が苦しかった。
それでも6歳の私は自分に言い聞かせた。
弟の夢は壊せない。
うそをつくことは罪深いことなのか。
優しいウソは、いいと思う。
それが思いやりだろう。