こんにちは。
burikoです。
「あー自由になりてぇ!!」
こう叫んでいる高校生を見かけました。
私もそう思っていた時期があります。
でも、今になってわかったんです。
自由って、ものすごくしんどい。
今回は、「自由」であることに関して私が抱えるしんどさを書き綴ります。
私が考える『自由』

社会人になって、私は『自由』になったと感じました。
一人暮らしもできた。
お金もある程度ある。
夜遊んでいてもOK。
やることやっていれば周りの人に何も言われません。
子どもの頃は、『不自由』であると思っていました。
勉強したくないのに、勉強を強いられる。
そんなにやりたくもない剣道に週1で通わされる。
門限があって、決まった時間に帰らなくてはいけない。
子どもなので、まだやってはいけないことがたくさんありました。
社会人になったとき、そんな『不自由』なことが一気になくなって、すごく気持ちよかったです。
自由 = やることやっていれば何も言われないこと
これが、20代の私にとっての自由の定義でした。
年齢を重ねるにつれ、私はさらに『自由』になっていきました。
結婚をするかしないか。
家を買うか買わないか。
仕事で新しいプロジェクトを提案するかしないか。
これまでは『やるべきこと』以外の『自由』を楽しんでいました。
その『やるべきこと』は、中身が決められていました。
例えば、仕事において「今までこうやってきたよ。」と上司から教えてもらうようなことです。
それを完成することが私の役目だったので、教えられた通りに動けば良いのですごくラクでした。
しかし、年齢を重ねるとその『やるべきこと』まで『自由』が侵食してきました。
やるのかやらないのか。
するのかしないのか。
何事も全て自分で決めなくてはいけません。
これまでにはなかった更なる『自由』が発生してきます。
「言われたことだけやってちゃだめなんだよ。」
職場ではこう言われるようになります。
「これからどういう生活にしていくの?」
プライベートではこのようなことを考えなくてはいけません。
自由 = 何事も自分で決断すること
私はいま、自由の定義が変わってきました。
「自分が悪いよね」って言われるのが1番辛い

『自由』になると、それにくっついてくるのが『責任』です。
このことを、私は身をもって体感しています。
例えば、休日に家族で出かけることを想像してください。
子どもはまだ1歳です。
奥さんから「今日どこ行く?」と相談されました。
旦那さんは色々考えて「遊園地に行こう。」と提案しました。
奥さんは特に何も言わず承諾し、子どもはとても喜んでいます。
遊園地に車で向かいました。
すると、遊園地付近はものすごく混雑していて、なかなか駐車場に入れません。
ようやく園内に入りましたが、混雑していてどのアトラクションも行列です。
旦那さんは言いました。
旦那さん「あー。すごい混んでるなー。(家族に申し訳ないな)」
すると奥さんは言います。
奥さん「自分で遊園地って選んだし、自分が悪いでしょ。」
辛い(´;Д;`)!!
こんなこと言われたら、ものすごく辛くないですか!?
奥さんに言っていることは間違っていません。
どこに行くのか選択したのは自由で、その選択で後悔しても本人のせいです。
これを哲学者のサルトルは『自由の刑』と呼びました。
『自由の刑』・・・
すごく、共感できます。
私も『自由の刑』に処された経験があります。
「自分が選んだことだし、それが失敗したら責任取るでしょ。」
その通りなんですが、これが本当にしんどい!
これ言われると、孤独を感じます。
一緒にいてくれた人が、急に離れていく感じがしてしまうのです。
『自由』って楽しいばかりではなく、これがあるからしんどいのです。
自由を謳歌する方法

正解が何かもわからないこの社会で、どうするか選択してその責任を持たなければならない『自由』。
こんないつ爆発するかわからない爆弾みたいな『自由』をどう楽しめばいいのでしょうか。
私が行き着いた考えは、2つです!
・選択ミスはするもの
・自分だけは自分のことを責め続けない
このことを意識しまくるしかないと思っています。
『自由』であるが故に、色々な場面で選択を迫られます。
理想は選択ミスをしないことです。
しかし、ノーミスで人生における選択をしていくことなんて不可能です。
よって、そのことを受け入れた方が絶対良いと考えます。
もし選択ミスを受け入れられなかったら、『自由の刑』に処されます。
選択ミスをした場合、周りから「そりゃお前が悪いよ」と責められます。
これも当然のことなので仕方ありません。
でも、自分だけはある程度責めたらパッと許してあげた方がいいです。
1番最初に許してあげるのは自分であったほうが気持ち良いです。
これを責め続けると『自由の刑』行きです。
・選択ミスはするもの
・自分だけは自分のことを責め続けない
自由を謳歌する上で、この2点はとても大切なのではないかと感じています。
もっと浅く考えると、
「気楽に行こうぜ( ・∇・)!」
これですね!