こんにちは。
burikoです。
あー自由になりてぇ!!
このように叫んでいる高校生を見かけた。
わかるよ、その気持ち。
私もそう思っていた時期がある。
でも、今はシンプルにそうは思えなくなっている。
自由って、ものすごくしんどいだぞ。
ただ自由を求めるあの高校生に、私は自由のしんどさを伝えたい。
自由には責任が伴う
社会人になったとき、私は『自由』になったと感じた。
一人暮らしもできる。
お金もある程度ある。
夜遊んでいてもOK。
やることやっていれば周りの人に何も言われない。
子どもの頃は、『不自由』であると思ってた。
勉強したくないのに、勉強を強いられる。
そんなにやりたくもない剣道に週1で通っている。
門限があって、決まった時間に帰らなくてはいけない。
子どもなので、まだやってはいけないことがたくさんあった。
社会人になったとき、そんな『不自由』なことが一気になくなって、すごく気持ちよかった。
■20代の頃の自由とは・・・
自由 = やることやっていれば何も言われないこと
これが、20代の私にとっての自由の定義だった。
やることやっていれば、自分のやりたいことが何でもできる。
自分がやってみたいと思うことは、ほぼ叶えてきた。
30代〜40代になると、20代では考えなかったことを考えるようになった。
例えば、結婚をするかしないか。
家を買うか買わないか。
仕事で新しいプロジェクトを提案するかしないか。
これらも、全て私の自由。
何を決断するにも自由だ。
しかし、20代のときの自由とは違う感じがする。
例えば、仕事において20代のときは、上司から教えてもらうことが多かった。
それを完成することが私の役目だったので、大体の枠は決まっていて、その中に私の自由があった。
しかし、30〜40代になるとそういった枠はなくなる。
「言われたことだけやってちゃだめなんだよ。」
よくいうフレーズがすごく重くのしかかってくる。
「これからどういう生活にしていくの?」
プライベートでは、こんなことを問われるようになってくる。
あら?なんか20代の頃の自由と違ってきてる気がする・・・。
そんなことを考えていたら、私は気づいた。
■いまたどり着いた自由とは・・・
自由=何を決断しても良いが、責任が伴う
スパイダーマンでも、おじさんが言ってたアレだ。
「自分が悪いよね」って言われるのが1番辛い
『自由』になると、それにくっついてくるのが『責任』だ。
例えば、パートナーと食事にいくとする。
パートナーから「どこにご飯食べにいく?」と相談されたので、私は前から行きたいと思っていたお店を提案。
パートナーは特に反対もせず承諾し、車でお店に向かった。
すると、お店付近の駐車場がものすごく混雑していて、なかなか車を止めることができない。
ようやく車を止めたが、予想以上にお店が混んでいて行列ができている。
私は「すごい混んでるなー。」と相手に申し訳ない気持ちを含めて呟いた。
するとパートナーは言った。
「自分でこのお店を選んだし、自分が悪いでしょ。」
辛い(´;Д;`)!!
相手が言っていることわかるけど、これってものすごく辛い。
こういうこと、生きていると結構ある。
このことを、哲学者のサルトルを『自由の刑』と読んでいる。
どこに行くのか選択したのは自由で、その選択で後悔しても本人のせい。by サルトル
その通りなんですが、これが本当にしんどい!
自由は良いことも悪いことも自分にちゃんと返ってくる。
だから、自由はしんどい。
自由を謳歌するために意識すべき2つのこと
正解がないことが多いこの社会で、自分で選択して、その責任を持つ。
それが、自由。
こんな自由、楽しめる気がしない。
それでも、私はこの自由を楽しみたいと思っている。
そのために、意識していることが2つある。
①選択ミスはするもの
②自分だけは自分のことを責め続けない
これに気づいてから、結構ラクになった。
『自由』であるが故に、色々な場面で選択を迫られる。
理想は選択ミスをしないことだ。
しかし、ノーミスで人生における選択をしていくことなんて不可能。
よって、そのことを受け入れた方が絶対良い。
もし選択ミスを受け入れられなかったら、『自由の刑』に処されちゃう。
選択ミスをした場合、周りから「そりゃお前が悪いよ」と責められる。
いや。実際責められていなくても、そんな気がしてしまう。
今後のために、間違いを指摘されることは大切なことだ。
でも、自分だけはある程度責めたら、パッと許してあげた方がいい。
1番最初に許してあげるのは、自分。
ここができないと、まだ『自由の刑』行きだ。
自由を謳歌する上で、上記2点はとても大切だと思う。。
小難しいこと言ってしまいましたが、気楽にいこう。