教員経験5年くらいで抱える悩み「私じゃなくてもいいよ感」はどこから来るのか。

迷子
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こんにちは。

burikoです。

 

「自分を見失いそうです。」

 

先日、教員をしている友達から連絡がきました。

友達は見失いそうな理由を教えてくれました。

 

「生徒のために何ができるのか。」

「今やっていることは、私じゃなくてもいいのではないか。」

「私のやっていることなんて、誰にでもできるのではないか。」

 

友達は今やっている教員という仕事に対して、このように感じています。

 

 

わかる(´;Д;`)!

 

なぜなら、私もずっとこう感じながら教員を続けているからです。

 

教員経験が5年くらいになると、この悩みを抱える人って少なくないと感じています。

今回は、「なぜこう考えてしまうのか。」「どうしたらこの悩みから解消されるのか。」を考えてみました。

 

 

「私じゃなくてもいいよ感」の発生源

 

私や友達が抱える”私じゃなくてもいいよ感”はどこから来るのでしょうか。

教員という仕事を振り返ってその原因を探ってみました。

 

教員の仕事が1年サイクルで永遠にループし続ける

 

教員の仕事は、1年サイクルでほぼ同じことを繰り返します。

授業も行事も1年サイクルでほぼ同じことをします。

 

50年前の医者が現代の医療を目の当たりにしたら何もできないが、50年前の教員は今の学校に来たとしても仕事ができる。

 

こんな話も聞いたことがあります。

つまり、自分が学校に通っていたときとほとんど同じことを今の学校でもやっているのです。

 

 

例えば、『数学』の三角比は50年前も今も内容は変わりません。

だから、いくら時間が経とうとも教えることは一緒です。

学校行事の修学旅行も体育祭や文化祭も、自分たちがやったようなことを教師としても経験します。

 

細かいところは変化しても、コアの部分は変わっていないのが学校教育です。

というより、変わってはいけないのが学校教育なのかもしれません。

 

このよく知っている1年サイクルが、教員を続ける限り無限ループします。

これを5年くらい経験すると「こんな仕事、私じゃなくてもできるのかも」と感じ始めます。

それは、自分以外の人も生徒として同じことを経験してるからです。

 

「数学だって、英語だって、行事だって、みんな経験しているからやろうと思えばできるだろうなー。」

「・・・そうか。この仕事って私じゃなくてもいいのか。」

このように考えてしまうのです。

 

やった仕事に対しての結果がわかりにくいし、やりがいを感じづらい

 

教員という仕事は、自分のやった結果がわかりにくいという特性があります。

これがやりがいを感じづらい原因の1つと考えます。

 

教員の仕事には図に示すように、大きく3つの仕事があります。

 

教員はこの3つの仕事を総合評価されます。

 

 

『学習指導』

『学習指導』は、先人たちの積み上げてきた知識を生徒にインプットし、様々な形でアウトプットさせること。

『学習指導』=『知識の獲得』です。

 

『学習指導』がしっかりできていると自覚することは、一見簡単であるように思えます。

テストの点数等や課題等で可視化できるものがあるからです。

しかし、実際は簡単なものではありません。

 

例えば、ものすごく教えるのがうまいA先生がいます。

進学校で授業を受け持つと、生徒の実力がメキメキついてテストの平均点が過去最高!

A先生のおかげで大学進学率も向上しました。

次の年、A先生は学習に前向きでない底辺校に赴任しました。

これまでの経験を活かし、生徒に対して授業を工夫しましたがテストの平均点は低いまま。

進学実績も例年通りという結果でした。

対象としてしている集団が違うと、テストの点数や、進学実績等だけで『学習指導』ができているできていないを決めることはできません。

 

「テストの点じゃなくて、生徒の興味関心を持たせているかどうかで学習指導できているかどうかわかるよ!」という考え方もあります。

しかし、これもそう簡単に判断できる材料にはなりにくいです。

集団の中にも興味関心・向上心が高い子と低い子は必ず存在するし、その集団の学力にも大きく影響します。

 

『学習指導』ができていると実感できるのは、いつ?どのタイミングなのか?

自分の提供している『学習指導』が生徒のためになっているのか、本当に実感しにくいものです。

 

また、『学習指導』という仕事は、教員でなくてもできるのです。

大学生が学習塾で『学習指導』しているし、今では、youtubeでも学校で教えてくれる授業と同じものを観ることができます。

学ぼうと思えば教員を頼らずともなんとかなる世の中です。

 

学習指導が教員だけの特権でない』ことも、「私じゃなくてもいいよ」感を強くする原因の1つです。

 

 

『生徒指導』『進路指導』

『生徒指導』と『進路指導』は『学習指導』のような知識の獲得とは別のものと考えています。

 

『生徒指導』は人としてどうあるべきか。

『進路指導』はこれからどう生きていくのか。

これを生徒に伝えていくのです。

 

 

あっはっはっはっは!

 

私が教えて欲しいわっ!笑

 

 

『生徒指導』も『生徒指導』も誰もがこうしておけばOKみたいな正解がなく、常に考え続けるものです。

問い続けるという意味では、これはもう哲学!

 

例えば、生徒にとって大学進学か就職するのかどちらが幸せになれるかなんて、絶対にわかりません。

それでも「私、何したらいいかわかんなーい。」と相談に来る生徒と一緒に考えなくてはいけません。

このようなことを日々繰り返していると、本当に何をどう伝えてあげればいいのかわからなくなります。

「今日は完璧だー!」と自信を持って言えることがなくなってくるのです。

 

「Aさんにこんなアドバイスをしたから、めちゃくちゃ幸せになったなー。うんうん。私のおかげだ!」

 

こんなことを思える日は一生こないのです。

自分の行動が影響しているか証明するものは何もないからです。

究極、自分がしたことは関係なく、良い結果につながったのは本人の努力です。

 

このように、教員って自分がやっていることの結果も、やりがいも感じることが非常に難しい職業なのです。

 

このような想いに気づくと、

「これじゃー誰がやっても一緒だわ。私じゃなくてもいい。」

と考えるようになります。

 

この悩みから抜け出すには

 

上記のようなことが原因で心の中に発生する「私じゃなくてもいいよ感」。

この悩みは一体どのように解消すればいいのでしょうか。

私が思う解消方法は2つです!

 

いま、このときだけを楽しくする!

 

「私じゃなくてもいいよ感」が発生する原因の1つに、教員の仕事は『1年サイクル無限ループ』があります。

 

これを解消するには、「いま、このときだけを楽しくする!」です!

 

無限ループすることに囚われていると、「どうせまた来年同じこと繰り返すんだろ・・・ちぇっ!」みたいな感情が生まれます。

そんな先のことは考えず、いまだけ楽しくすることを考えるのです。

 

例えば、自分で『この授業だけはめちゃくちゃ面白い!』と思えるものを作り出してみましょう。

楽しいことなら、何度でも味わいたいはず!

無限ループの中で嫌なことを繰り返すと考えるのではなく、良いことを繰り返すと考えるようにしてしまうのです!

小さな楽しいことをいっぱい作ることができると、いつの日か「無限ループウェルカム状態』に突入できるのではないでしょうか。

 

これとほぼ同じことを、あの有名な哲学者ニーチェ先生も言っています。

ニーチェ先生が言っていれば、間違いないはず!?

 

貢献していることで良しとする!

 

「私じゃなくてもいいよ感」が発生する原因の1つに、教員の仕事は『やった結果がわかりにくいから、やりがい感じられないよー』があります。

教員が提供している教育って目に見えるものではありません。

建築関係の仕事のように『地図に残る仕事』であれば、もう少しやりがいを感じられるかもしれません。

 

父「あのビルはなー、私が作ったんだよー。」

 

娘「わーお父さんすごーい!ねぇねぇ!お父さんが作ったビルに入ってみたい!」

 

父「おっ!そうか!じゃあ屋上に言ってみようか!そこから見える景色が最高なんだよ。」

 

娘「わぁー♪行こう行こう♪」

 

こんな会話ができれば、「やっててよかったな」と思えますよね。

これが教員にはありません。

 

父「今日な、生徒にアドバイスしたら『大学進学するために勉強します!』って、ものすごくやる気になってくれたんだよ!」

 

娘「へぇー。(・・・自己満じゃん。)」

 

父「・・・( ・∇・;)」

 

教員という仕事の場合、こうなって終わりです。

 

この原因を解消するためには、『貢献するだけで良しとする!』です!

 

教員の仕事は、生徒に対して貢献することです。

そこに、自分の貢献したことの結果を求めてはいけません。

そんな結果なんて、絶対にわからないからです。

 

大切にしなくてはいけないのが、貢献できていること自体で満足することです。

自分のおかげで生徒が変わったなどど、見返りを求めてはいけません。

そして、自分が貢献していることを他の先生と比べない方がいいです。

 

「あの先生は生徒にこんなことしてあげてるのに、私はできてないな。」

 

こう考えると、すごく追い込まれていきます。

自分が貢献できることと、他の人が貢献できることは違って当然。

むしろ違うから、良いと思います。

学校にいる先生がみんな同じことしかできなかったら、全然面白くないです。

 

自分が貢献できていることを認めてあげましょう!

 

これとほぼ同じことを、あの有名な哲学者&心理学者アドラー先生も言っています。

アドラー先生が言っていれば、間違いないはず!?

 

この悩みって、教員として素晴らしい

 

この悩みを相談してくれた友達は、素晴らしい先生だなと感じます。

 

「自分のやっていることは、本当に生徒のためになっているのか。」と意識が持てることは、真剣にこの仕事に向き合っている証拠です。

「私のやってること、間違いないわ!」と何十年も変わらずにいるより、悩みながら自分を変化させていくことができる人の方が魅力的に思えます。

 

ドラゴンボールの悟空だってスーパーサイヤ人で満足せず、2、3・・・と進化していきました。

 

「今の自分でいいのか!?」

 

こう考えることができる教員が、これから先すごく必要とされるのではないでしょうか。

 

同じような悩みを抱えている教員が集まって、想いを伝えられる場があるといいですね!

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