【教員として大切にしたいマインド】自分のことは棚に上げちゃおう!

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こんにちは。

burikoです。

 

 

”どんなにAIが発達しても、”学校の先生”という仕事はなくならない”

 

個人的にそうあって欲しいなと願っています。

 

 

私は教員生活が10年ちょっと越えました。

でも、まだまだわからないこと&知らないことばかり。

これまで、教員という仕事に関していろいろなことにもがき苦しんできました。

 

そんな経験を通して、僅かながら見えてきました!

”教師としてどう在るべきか”がっ!

 

今回は、そんな小さな気づきの1つを、書き綴ってみます。

教職の授業等では堂々と言えないことだと思います。

でも、私個人としてはとても大切じゃないかと思うのです。

 

自分のことは棚に上げたほうがいい

 

教員は聖職だと言われたりします。

今の時代、あまり言わないかもしれませんが。

でも、聖職とまで言わなくても、そう言った部分はあると思います。

 

重い。

これは私にとって重すぎます。

「自分みたいなこんな人間が聖職って・・・。」

そう思うのです。

 

そこで、

自分のことは棚に上げよう( ̄ー ̄ )/

こう考えています。

 

最低最悪でしょう。

しかし、自信のない私はこう考えないと生徒と接することはできません。

 

 

例えば、生徒同士が殴りあったとします。

先生は仲裁に入り、生徒に『殴ってはダメだ』と伝えなきゃいけません。

 

私はこの場面で、もう辛いです。

なぜなら、私が人を殴った経験があるからです。

 

私は中学の時、学校に行く準備をしている朝に小学校の弟を殴りました。

初めて殴りました。何回も。

殴ってしまったきっかけは邪魔だったからです。

 

今思い返せば、本当に恥ずかしい。

ただの反抗期で、家族の存在が受け入れられない時期でした。

なんか自分の邪魔ばっかしている気がして、本当にイライラしてました。

そんな時期を理由に、私は弟を殴りました。

 

その日、弟は学校を休みました。

それをきっかけに、弟と仲が悪くなりました。

アラフォーになった今でも、弟との関係は微妙です。

何度か当時のことを謝罪しましたが、未だにあの日の出来事を引きずっています。

 

弟とは毎日一緒にお風呂に入ったり、ゲームをしたり、寝る時は手を繋いでいた時期もあったのに、殴ったことでそんな関係は一瞬で終わりました。

 

 

自分にそんな経験があるので、私は人に殴ってはいけないと言える立場ではないのです。

 

 

勉強に関してもそうです。

 

勉強に対してやる気のない生徒に『勉強はやっておいたほうがいい』的なことを伝えています。

しかし、私も高校生のときつまらない授業は漫画を隠れて読んでいました。

 

 

そう考えていくと、

私が子どもたちに伝えられるメッセージなんてなくなるんです。

 

 

これに気付いたときは、教員なんて続けられないと考えました。

 

でも、続けたい。

だから”自分のことは棚に上げる”ことにしました。

 

 

ちゃんと意識しているのは、

自分のダメな部分を隠さない。

綺麗ごとばかり伝えないこと。

 

”どうしようもない失敗してるからこそ、伝えられることがある”

 

今はこう考えて生徒と接しています。

 

 

私自身、弟を殴ってものすごく後悔しているので、生徒にそう伝えます。

勉強ももっとやっときゃよかったと後悔ばかりしているので、そう伝えます。

 

 

 

”教育とは、死に至らない失敗を安全に経験させるためのもの”

植松電機の植松努さんがおっしゃっていました。

失敗から学べるものは多すぎるので、そういう場を学校にすべきです。

 

 

 

それでも、やっぱり失敗が怖くてチャレンジできない子もいます。

だったら、私の失敗をちゃんと伝えて擬似体験して欲しい。

 

 

 

”本気の失敗には、価値がある”

 

宇宙兄弟11巻でムッタが言ってました。

 

 

今はこの言葉を胸に、自分の失敗を誰かの価値あるものに変えたいと思っています。

先生やってみたいけど自信のない人でも、、子どもたちに伝えられるメッセージはたくさんあります。

本気の失敗をたくさんして、そこから何とか這い上がろうとしている人は、きっと魅力的です。

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