こんにちは。
burikoです。
先日、こんなニュースを見ました。
授業の始まりと終わりの号令を”軍隊式の強制”ということで廃止にしている学校があるそうです。
このニュースを知って、私は思いました。
「慣習を疑う時代だなー。」
今回は、私が考える慣習について書き綴ります。
「起立、礼」って必要?

私は授業のとき、「起立、礼。」をやってます。
休み時間と授業の切り替えには有効だと思っているからです。
この号令をやめようと考えたことは今まで1度もありません。
これまで”礼に始まり礼に終わる”的なことが大切だと考えてきたし、自分にとっても「お願いします!」と声に出すことが授業をやるスイッチになっているからです。
でも、上記のニュースを見て号令なくてもいいかもと考えてます。
大学で授業の最初に号令なんてないし、もちろん社会人になってもありません。
会議の前に「起立、礼」と号令をかけて切り替えてる会社はほぼないです。
学校の先生だって、職員会議の最初に号令なんてかけてません。
時間になったらみんなが自然に切り替えられるようになる。
これがベストな状態。
私は一つ思い出すことがあります。
先生は定期的に授業を上司の方などに観てもらい、アドバイスをいただく機会があります。
そのとき、「号令はなくていいよ。」と言われたことはありません。
むしろ、「生徒に号令のときもっと集中させたほうがいい。」とアドバイスを頂いたことがあり、号令は大切なんだと教えてもらってきました。
年齢を重ねるにつれて号令がなくなるなら、最初からなくしたほうがいいのか。
児童、生徒のときはあったほうがいいのか。
うーむ。
いい慣習と悪い慣習

「古くさい慣習なんてなくしちまえ!」
学校教育に対して、こんな風潮が高まっていることを感じます。
そんなの効率悪いだろみたいな。
あるとき友達に「学校で生徒に掃除させるのって、意味なくねぇ!?みんなめんどくさいと思ってるし、大人になったら会社の中を自分で掃除しないっしょ?」と言われたことがあります。
確かに。
社会人になって、会社の中を毎日掃除する時間なんてないですし。
でも、私はあの掃除する時間って大切だと考えています。
私の友達は意味ないと考えていますが、私にとっては意味がある時間でした。
あの掃除する時間は確かにめんどくさかったですが、それを経験したからこそ大人になって「普段からキレイにしとこー。」と意識できるようになったのです。
だから、今も机はいつもキレイにしています。
“慣習”という言葉が「古臭くてもう時代遅れ」みたいな風に捉えられることがありますが、そんなことない場合もあるはずです。
いい慣習と悪い慣習。
いい慣習は残して、悪い慣習はパッと捨て去ることをしていきたいです。
だだ、直感で悪い慣習だと思っていてもやってみたら「あれ?これ結構いいんじゃないかっ!!」という慣習もあります。
上記で書いた号令とかそうかもしれません。
号令なんてなくてもいいよ。と思ってしまいがちですが、号令かけると生徒の切り替えがめちゃくちゃ早かったりするのです。
とりあえず型通りにやってみてわかることがあります。
“守破離”ですね!
どんな慣習もスパッと捨て去るのではなく、しっかり自分で考えることが大切なのかもしれません。
色んな教育をする学校があっていい。

最近ではイエナプランの小学校が登場するなど、日本でも海外の教育メソッドをとりいえる学校が増えてきました。
それでも日本はまだ大きな括りで考えると、どの学校も同じような教育を実施しているように感じます。
もし、日本が今以上に色んな教育を実践する学校が認められて、子どもたちが受けたい教育を実践している学校を選べるようになったとしましょう。
そうすれば、上記に書いたような慣習みたいなものってなくなるのではないでしょうか。
「号令?うちはやってないけど、となりの学校は大切にしてるみたいだよ。」
こんなことがフランクに話せるようになれば、冒頭で紹介した記事はわざわざ取り上げることでもなくなります。
教員側としても、自分が実践したい理想の学校を選んで働けるってメリットです。
その学校の教育メソッドを理解しようとモチベーションが上がるはず。
これだけ『みんな違うし、色々あるよね。』ということが認知されてきたし、色んな教育を実践する学校があってもいいと思います!
そのためには、まず自分がどんな教育がいいと想っているのか明確にしなければいけませんね!