こんにちは。
burikoです。
近年、教育への関心が高まっていることを感じています。
Teach for Japanのように、教員免許なくても学校で教えることができるシステムがあったり。
海外の教育メソッドと取り入れた特色ある学校も設立されたり。
受験勉強以外のことも学べる塾も増えていたり。
教育系のイベントも多く行われていたり。
素晴らしい!!
教育は幸せな社会を創るためには必要なもの!
みんなが関心を持つことは本当に素晴らしいことです!
『教育を本気で変えようぜ!』って声もSNS等でいっぱい叫ばれていますね!
いやーどの意見も本当に素晴らsh・・・
っておおおおぉーーーい!!!
それは違うだろーー!!!
って感じる声があるのですー!
例えば・・・
”学校ではネットで検索すれば出てくる知識を詰め込んでいるだけ。”
”いい国作ろう鎌倉幕府みたいなこと教えて何の役に立つの?”
学校って、本当に知識の詰め込みだけやってるんでしょうか!?
学校で教えていることは、今の時代では意味がないのでしょうか!?
知識だけの詰め込み授業なんて存在しない
知識だけの詰め込み授業している学校はないです!
先生方も覚えさせるだけじゃダメなことはわかってます。
ICTを駆使したり、グラレコ使ったり、対話やワークショップの手法を使って、子どもたち自らその知識が必要だと感じてもらえる授業を創り上げている先生っていっぱいいます。
リーダーシップとか、自己肯定感とか、チームビルディングとかも授業の中で体感できる仕掛けも取り入れてる先生もいます。
知識だけじゃダメだって意識してる先生って、いっぱいいるんです。
そして、子どもたちも覚えるだけの授業がダメって気付いています。
今の子の情報量は半端じゃないので、その辺は知っているのです。
「これ、とにかく覚えればいいから」で通用するほど、子どもは単純じゃありません。
そもそも、知識だけ詰め込んでいた授業って存在したんでしょうか!?
受け手が勝手にそう思ってるだけなのではないか!?
私はアラフォーですが、知識詰め込みの授業を受けたって記憶はありません。
どの先生もストーリーを語ってくれていました。
”いい国作ろう 鎌倉幕府”だって、歴史の流れの中で言ってくれました。
「鎌倉幕府は1192年だぞー。
覚え方はいい国!これだけ覚えとけー。」
これだけで終わるなんて絶対ないです。
学校の授業が”知識だけの詰め込みだった”という解釈に変わってしまうのって不思議!
受験とかテストのせいかな・・・?
純粋に知識だけ取得することも必要
とある講演会に参加したとき、学校の授業は創造性がないと伝えていました。
なんとなくわかる部分はあります。
授業では新しく教えてくれることが多く、それをまず覚えなきゃいけないから・・・・ということでしょうか。
『知識はもう検索すれば済むから、人間がやるべきことは創造性を発揮すること』だというメッセージでした。
今まで学校でやってきたことはgoogleが全部記憶しているから覚える必要なしという方もいますが、私はある程度の知識って必要だと思います。
例えばカレー作るとき。
人参とかじゃがいも、お肉の切り方はネットで調べればわかります。
でも「ネットで調べればわかるから覚えてませんー」って何か違くないですか。
鎌倉幕府が1192年もそうです。
いつ頃幕府が誕生したか知ってるから、
「今から800年くらい前かー。800年でこんなに変わるんだなー。・・・っえ!?ってことは800年後って一体どうなってるんだ・・・!?」
みたいに、次の疑問に行き着くと思うんです。
そう考えると、知識を純粋に取得するだけの時期も必要ではないでしょうか。
その瞬間意味があるないという話じゃないかもしれませんね。
色々知った結果、色々結びついて何かにたどり着くってあるはず!
学校でやっていることを意味あるものにするかどうかは、やっぱり自分次第ですね。
歴史は進化していた・・・。
冒頭から
”いい国作ろう 鎌倉幕府”
と言いまくってましたが、すいませんでした!
今は”いい国”じゃないみたいです(TOT)
このブログを書くために調べたら、今は・・・
”いい箱(1185年)作ろう 鎌倉幕府”らしい。
”いい箱”ってなに!?
作らねぇよ!!
そして、さらに調べると鎌倉幕府って段階的に成立していったという考えるのがスタンダードのようで年数指定もないみたいですよ!
ほら・・・
どうですか・・・。
私が鎌倉幕府は1192年だと知識があったことで、今この事実を知ることができましたよ・・・_φ( ̄ー ̄ )
歴史って進化してるんですね。
まだ私みたいに叩き込んだ知識を信じ込んでいる大人がいっぱいいると思うので、明日ドヤ顔でこの話しまくってみますー!
叩き込んでいた知識よ!ありがとう!